魚沼巾着なすの起源と特徴

ナスの品種。南魚沼郡城内村(現在は、魚沼市六日町)の下原新田の栗田忠七氏が、明治30年(1897)の水害の折に、群馬県富士見村へ出稼ぎに行き、その帰りに入手した早生ナスと、在来種の丸ナスの交配によりできたのが「魚沼巾着なす」といわれています。

 

明治45年(1912)3月に、「城内茄子採取組合」が県内の指定採取組合として設立され、代表的に新潟の丸なすとして県外にも出荷された。昭和28年(1953)に漬物用の「梨なす」の普及に伴い、栽培面積は減少している。

 

本種の果皮は黒紫色で、形はやや長形、純丸型、やや平たい巾着型などの系統がある。

 

現地の復活系統は、やや平たい巾着型であった。その後、園芸試験場では、丸ナスとの交配を試みていた。味噌漬けなどの貯蔵漬けに適したナスである。

 

魚沼巾着